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2016 年 2 月 18 日 08:04 #4863fumi参加者
なつさん
初めまして、よろしくお願いします。
独り言の、思いつくまま書き始めた妄想(笑)にお付き合い頂きありがとうございます。いつかは建てる一歩になればと思います。さちこさん
詳しい放送内容ありがとうございます。先人の歌碑を愛でる姿勢いいですね。ますます冬美ちゃんの事が好きになっています。その冬美ちゃんのためにもいつかは建てるお手伝いが出来ればと思います。りんさん
「なっちゃんとの旅番組では三段壁で「風に立つ」を歌われていましたから」は知らなかったので、県知事宛の問い合わせには書きませんでした。紀ノ川と火祭りと赤橋の三件でお願いをしています。返事が来てやり取りが出来るようであれば追加したいと思います。2016 年 2 月 18 日 08:16 #4864fumi参加者すみません、言葉が抜けました。
「独り言の、思いつくまま書き始めた妄想(笑)にお付き合い」を「独り言の、思いつくまま書き始めた妄想(笑)に始まった話にお付き合い」に訂正します。今は妄想から本気です。2016 年 2 月 18 日 11:00 #4865りんキーマスターもともと行動力がある方なのか、冬美ちゃんの魅力がそうさせるのか・・・
なぜだか、冬美ちゃんを好きになって、冬美ちゃんのことを知るようになるとやる気とか行動力とか出ちゃうんですよねぇ。
これが「元気をもらう」ってことなんでしょうねぇ。30周年コメントの皆さんのお話にもそのようなエピソードが満載ですね。
やってみよっと♪というより、やらなくては!くらいの気持ちが起きるんですよねぇ。不思議。
具体的におかえりがおまもりの歌碑を考えると、歌詞が多いですよねぇ。
本当は五七調の5行くらいの歌詞の1番~3番みたいなほうが縦書きで石に彫られるとかっこいいような。
おかえりがおまもりだと横書きがいいかなぁ。手紙風とかちょっとこじゃれた感じで、ひらがなが多いですからやさしい感じがいいんじゃないでしょうか。
見たことある歌碑って、そう多くないですが、たぶん北海道の道の駅の北島三郎さんのは目の前に立つと歌が流れるのだったと思います。
歌が流れるのだとフルコーラスより最後の「ただいま~」のところあたりからかなぁ。
石に縦書きしてかっこよさそうな歌詞だと、あばれ太鼓がかっこいいですかねぇ。
風に立つもやや長めでしょうか?でもいけそう♪「夜桜お七」は桜の名所で、猪俣先生のご自宅もあった思い出の地、洗足池にいたしましょう(勝手に)
観光地ではないから、ちょっと地味かな?
八百屋お七の本郷あたりだと、八百屋お七の何かが建ってそうだし・・・夜桜お七なら、ファンクラブさんのロゴ?桜が二つ重なっている形の石碑がいいかなぁ♪
冬美ちゃんのシルエット入れたいなぁ。
三木先生がご存命のうちに建てたかったなぁ(←あなた何者?どこから目線?w)誰か大田区に大きなコネないですかね。
とまぁ、妄想が膨らんで楽しいところではございますが、まずはおかえりがおまもりの赤橋方向でがんばってみましょう(←といっても何も私はしてませんが)
冬美ちゃんのために何かできないか?と考える時間は楽しいですねぇ♪♪ほっこり。
2016 年 2 月 18 日 19:56 #4872fumi参加者両方です。多分・・・(笑)
詳しくは省きますが、三年ほど前に「やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいい」と心に決め、色々と行動に移してきました。特に昨年は思い、夢見て、行動に移したら、幾つも叶い、結果として冬美ちゃんにも出会う事が出来ました。
この三年の間にやって後悔とまでは思っていませんが、あるとすれば一つだけ北海道に住んじゃったことでしょうか。和歌山に住めば良かったかなと(笑)
当時は冬美ちゃんを知りませんでしたから、まあしょうがないですね。住みたいところへ住んだのですし自分で決めたことですから。最近はスーパーに行っても、ミカンは「有田ミカン」、食材も和歌山産を探す日々(笑) 北海道はご存知の通り美味しいものの宝庫です。でも冬美ちゃんも、もしかしたらこうやって選んでいるのかなとか想像し、これだけで思わずニンマリしてしまいます。
読書も今「紀ノ川」を読んでいますが(第一部を読了し第二部へ突入)、加え和歌山の観光案内書、「和歌山県謎解き散歩」「和歌山地理・地名・地図の謎」なんてのも並行して読み始めています。テレビの大河ドラマ「真田丸」も早く九度山に幽閉される場面にならないかなと心待ち。
本当に12月の初めには考えてもみなかった展開に私自身呆れることもあります(笑)
でも楽しいんですよ。これが「坂本冬美のある人生」って事でしょうか?「歌碑」については、和歌山県知事から返事が来ましたら次の手を考えたいと思います。出来ることをしていきたいと思っています。
2016 年 2 月 19 日 21:04 #4886fumi参加者まだ和歌山県知事からは返事がきませんが、きっと検討中のことと思います。毎日放送の「ちちんぷいぷい」には投書を出しました。
それと着物談議(笑)をしていた時にりんさんが紹介された「ひろ~☆」さんのブログ、過去からゆっくり読んでいたら2012年6月に朝日新聞和歌山版に「新・紀のひと」で冬美ちゃんが連載されていたことを知りました。という事で朝日新聞の和歌山総局にも投書しました。「津軽海峡を渡った北海道にも冬美ちゃんのファンがいる事と、歌碑を建てたいと思っていることを新聞に取り上げてください」とお願いをしました。ついでにその記事も読みたいとお願いをしておきました。
またなにか動きがありましたら書き込みます。
それと皆さんにお願いがあります。私も投書してみようと思う方もいらっしゃるとかと思いますが、あまり大量に出しますと「業務妨害」ととられることもあり、結果として冬美ちゃんに迷惑をかけることにもなるかと思いますのでよろしくお願いいたします。
2016 年 2 月 24 日 16:29 #4954fumi参加者本日、朝日新聞和歌山総局次長名で返事が届きました。一部分ですが再掲させて頂きます。
『ご要望の、弊紙紙面での○○様のご意見の紹介についてですが、読者の方の個人のご意見を掲載するコーナーや企画が、現在の和歌山版紙面には残念ながらございません。
ご希望に添えず申し訳ありませんが、将来もし具体的な動き、例えば署名活動であったり、建設費用の予算化であったりがオフィシャルなかたちで行われた場合には、記事化を検討させていただくことができるかもしれません。私も個人的に坂本さんは和歌山の偉人の一人であると思います。ファンの方々の熱意が何かしら形になることをお祈り申し上げます。』でした。まだ和歌山県知事と毎日放送と返事が届きませんが、何か運動が起こせればまんざら不可能ではない気がします。それと書くのを忘れていましたが「上富田町」にも投書してあります。まず県が前向きになってくれるといいと思っているのですが。
また連載された「紀のひと」の書籍化はないそうですが、紙面そのものの複製は「朝日新聞データーベース事業部(東京)・有料」や、和歌山県内の新聞を所蔵する図書館などに相談してくださいとの事でした。おかげさまで読むことが出来ます
2016 年 2 月 25 日 18:00 #4971fumi参加者「紀のひと」お勧めです。
昨日の続きになりますが、「紀のひと」お勧めです。
2012年6月2日から同年7月27日まで朝日新聞和歌山版の朝刊に40回渡り連載されたもの。ひろ~☆さんのブログで知りどうしても読みたくなり、朝日新聞に連絡し手に入れました。
同時期の「冬美ちゃん便り」にも書かれていない事が載っています。前年の和歌山での水害被害を受け、地元での自腹を切ったチャリティーコンサートの事から始まっています。最近涙腺が緩くなってきた私は、一つ一つジワっときて中々読み進められません。冬美ちゃんの人柄というか、もうむちゃくちゃに素敵すぎます。ますます冬美ちゃんのために何かしてあげたくなってしまいます。
次に出来る事は何かを考えているとき、4月1日の新歌舞伎座・夜の部、ちょうどキャンセルがあり(キャンセルした方すみません、ありがとうございます)申し込みをし、本日受付されました。大阪で一泊し翌日和歌山の地をこの足で踏もうと思います。帰りの関係もあるので観光は次回に譲るとして、上富田町の赤橋を(紀ノ川は和歌山市で鉄橋を渡る時に)この目で見てこようと思っています。建てる場所はどの辺がいいか妄想(笑)してきます。
30周年お祝い企画で出した今好きな歌と違ってきて、「紀ノ川」「男の火祭り」そして「おかえりがおまもり」の各フレーズが頭の中で繰り返しています。
話は変わりますが、京都も行きます。こちらは優先チケット受付と同時に勢いで申し込み済み。その時は和歌山まで足を延ばすつもりはなかったので、その後検討したのですがやはり時間的に無理。和歌山の地を踏んですぐとんぼ返りという手もかんがえたのですが・・・
大阪のキャンセルが出た→大阪に来いと呼ばれた気がし、その足で和歌山にいってみようと。脈絡のない話になってしまいましたが、ファミリーの方に大阪と京都でもお会い出来たら嬉しいです。
相模原まで中20日になりました(笑)
2016 年 4 月 3 日 14:14 #5503fumi参加者“聖地”和歌山へ行ってまいりました。
長いので二回に分けます。新大阪07:33始発の特急「くろしお1号」で白浜まで2時間36分の旅。前日大阪でも雨でしたが、和歌山は土砂降りだったそうです。和歌山駅の手前で紀ノ川を渡るのですが、増水していて“大河”でした。思わず「~せめて♪~」のフレーズが浮かび、小説の世界にも引き込まれました。「流れにさかろうては、ならんのやで」ですが、あの流れには逆らえません。
10:09白浜着。生まれて初めて和歌山の地をこの足で踏みしめました。いよいよ来たと。春休みで土曜という事もあり家族連れで混雑して中々改札の外へ出られません。ようやくレンタカーを借り、上富田町へ向かいます。予定ではとにかく「赤橋」をこの目で見る事と上富田中学、熊野高校、朝来小学校、朝来駅、役場、文化会館等を、それも出来るだけ徒歩で写真も撮り冬美ちゃんが生まれ育った町の空気を肌で感じようと。
前日の雨も上がり、翌日も雨の予報でしたから何と運のいいことか。雲は多いものの時々日も差し、ちょうどよい散策日和でした。でも北海道の者にとっては昼過ぎの20度の気温は熱く感じました。ドライブ中は窓は全開。上富田町での滞在時間は4時間ほどでしたが、とりあえず冬美ちゃんの故郷の空気を吸い、肌で感じる事が出来たかなと。
最初に雪化粧さんのアドバイスに従い役場へ。役場の駐車場に車を止めまずは「赤橋」へ向かいます。生馬橋から富田川添いの小道を下っていくと、見えました「赤橋」です。河岸の藪の間から真横に赤い直線が対岸に向かっています。何故かジワッと涙が(笑) まだ早い。少し急ぎ足になって小道から赤橋へ続く降り口を探します。そして現れたのが夢にまで見た「赤橋」です。2013年に再建された橋は真ん中の部分と両端の部分とのコンクリートの色が違います。まずは「おかえりがおまもり」のCDジャッケト写真と比べながら構図を決め写真を撮ります。残念ながら制服姿の少女はいません(笑) 河原に降りたり、対岸に渡ったりしながら1時間近くここにいて「赤橋」と会話をしていました。その間に通行したのはバイク1台。河原には前日の雨で所々水たまりがあったり、ヌカルミもありましたが、川の水量はそれほど多くはなく「これじゃ部活帰りに飛び込めないなぁ」とか考えていました。でも橋脚に流木が引っかかっていましたから昨日は橋げたいっぱい水かさがあったのかと思います。赤橋の写真だけで何枚撮ったかなぁ。まだ整理していないので分かりませんが20枚ぐらいは写したと思います。やはりここに「おかえりがおまもり」の歌碑が欲しいなぁ。建てたいなぁ。
河原から上がり元の道を戻るとコンビニがあります。本当はゆっくり昼食を地元の店でとも思ったのですが、回りたいところが他にもあるので、そのコンビニで南高梅のオニギリを買い済ませてしまいました(笑)
次に向かったのが「上富田中学」です。途中の川の土手と街道に挟まれた桜並木が満開で綺麗で、お花見をしている家族連れもいました。「上富田中学」では中に入れさせていただき、例の冬美ちゃんの作文等を拝見させて頂きました。作文の内容は面白いのですが、まだ見ていない人のためにここでは書きません。ぜひ行ってご自分の目で確かめて下さい(笑)
冬美ちゃんは「在校生にとっては偉大なる先輩」だそうです。そうそう春休みの部活の生徒さん達とすれ違ったのですが、皆さん「こんにちは」と一見怪しい(笑)オジサンに声を掛けてくれました。校内にはいくつも石碑があり、生徒さんたちが叶えた夢・叶えたい夢が刻まれていました。続きます。
2016 年 4 月 3 日 14:18 #5504fumi参加者続きです
その次が「熊野高校」です。中学と道を挟んですぐ隣で初めての通学の時は間違えて中学に行ったんじゃないかと、変な想像をしてしまいました。門が閉ざされていましたので中には入りませんでした。
そのまま道なりに役場へ向かうと、現れたのがりっぱな「文化会館」でした。ここに「歌碑」があってもいいのかなと妄想しました。「赤橋」のたもとに「おかえりがおまもり」にこだわりたい気持ちもありますが、河原は増水時も心配ですし、駐車場もむずかしいかと。案内の看板設置で文化会館に「赤橋」をモチーフにした歌碑があるでもいいかなぁ。そうすれば町の管理地だし河川での諸問題もクリアできるのかなぁ。
そして「朝来小学校」に向かいます。少し離れた高台にあるので、車に戻り県道から昇ります。随分急な坂道です。冬美ちゃんは6年間この坂道を通っていたんだよなと妙な感慨にふけりました。小学校の前には専用の駐車場もありました。門は閉ざされていたのでここも中には入らず、外観の写真だけ撮ってきました。
そして降りてきたところのコンビニでコーヒーを買って休憩。ふと道路の反対側を見ると、雪化粧さんがおっしゃっていた○○石材屋さんが目の前に。お話を伺いにお邪魔しました。冬美ちゃんに歌碑をと考えていることを伝え、石材屋さんからも色々とお話を聞かせて頂きました。費用はピンキリだそうです。歌碑の大きさ、材料、彫り込む字数等々。なお「上富田中学」にあった石碑はこちらで作られたそうです。ご隠居さんと旦那さんと奥さんと話を聞いて頂きました。まだ何も具体化していませんが是非こちらに地元ということもありますからお願いをしようかと思っています。当時の冬美ちゃんはここの近所に住まわれていたそうです。
また町長が町の目玉になり宣伝になるようなものを欲しがっている、例えば「碑」を考えているというお話も聞くことが出来ました。石材屋さんの名刺を頂いてきました。最後に「朝来駅」を見学したら、白浜駅に降り立ってから4時間が過ぎており、名残惜しい気もしましたが上富田町と一旦お別れとしました。
白浜に戻り飛行機のチェックインまでまだ時間がありましたので、三段壁(さんだんぺき)を見て、そこから北上しながらドライブして太平洋を、白浜の砂浜を眺めレンタカーを返し帰途につきました。
南紀白浜18:30→19:40羽田20:30→新千歳22:00で無事戻りました。強行日程で体は疲れましたが、楽しかったです。いつか白浜にぜひ宿をとってまた行きたいと思います。それで次の一手ですが、県知事と町長宛に再度投書をしようと思います。やはり地元の人に動いて頂かないと「歌碑は地元の人に愛されているからある」という冬美ちゃんの思いに答える事が出来ないと思いますので。お金のあるよそ者が来て勝手に作って行ったでは地元の人にとっては、やはり面白くないかと。あくまでも私は地元の人のお手伝いをするという立場でいきたいと思います。でも出来るだけ攻めます(笑)
長くてまとまりがありませんが、以上です。
2016 年 4 月 3 日 16:01 #5505fumi参加者空港で「パンダラーメン」(正式名称はラーメン)食べたことを描くのを忘れました(笑) それと写真をコメントに貼ろうと思ったのですが、アナログ人間なもので出来ませんでした。プリントアウトしてアルバムにし京都に持参します。見たい方は声を掛けて下さい。数えたら上富田町だけで100枚以上写していました。「赤橋」を中心に各場面ごとに何枚かづつ選んでいきます。ただ写真も上手ではありませんので期待はしないで下さい。
2016 年 4 月 3 日 21:18 #5508りんキーマスターおお!
ご報告ありがとうこざいました!何にせよ行動してみてわかることは多いですね!
赤橋近くに石碑屋さんがあるとは運命でしょう!!地元の方に愛される歌碑をと望まれる気持ちもわかります。
行ってみると温かな、控え目な方々が多く、和歌山の方々は出しゃばらならないお人柄なんだとか。
自慢もせず、主張もされないので和歌山発祥の文化や名産も他の県に取られちゃってるとも聞きました。パンダが数頭いることも、東京に伝わってこないのは「上野にパンダがいるし、盛り上がってるようなので東京で宣伝するのは悪いから遠慮しとこう。」こんな感じだからだと(笑)
冬美ちゃんのことも、地元から出たスターさんだけど、それを商売にするのはいかがなものか。
そんな感覚の持ち主たちなのではと思います。歌碑の場所まで視察された行動力に感服いたしました♪
是非是非このまま推し進めましょう♪
あまり関係ないかもですが、故郷探訪をしたり、何か応援したいと思ったときに浮かぶ歌がありまして、忌野清志郎さんの「温故知新」のこの部分です。
♪古いとか 新しいとか しゃらくさいことさ♪
♪古いとか 新しいとか たいしたことじゃない♪冬美ちゃんのファンは増え続けますが、いつファンになったからとかで遠慮することはないかな。と(笑)
古くからの方々がいたから、今、冬美ちゃんに出会えたんだとリスペクトしつつ。だからといって何もしてはいけないということではないっすよね。と(笑)
もっと色んな意味がこの歌にはあるけど、何か冬美ちゃんのためにしたいなあ。でも自分なんかがしていいのかな?と思ったときにはこの歌が巡ります。
そして冬美ちゃんのためになることに賛同してくださる方々もまた、
♪古いとか 新しいとか 関係ないだろー♪
と言ってくださる方が多いです(笑)歌碑計画、私は全面的に大賛成でーーーす♪
2016 年 4 月 5 日 13:44 #5519fumi参加者りんさん
そう言って頂けると励みになります。ありがとうございます。和歌山から戻って当日のメモを基に「コンサートの感想」と「報告」を長々と書き込んだ後、興奮と緊張が解けたのか疲れがでたのか、体調をちょっと崩して返信が遅れました。やはり体は若くはないなとちょっと反省。次の京都はのんびり楽しもうと思います(笑)
新歌舞伎座で声を掛けて頂いたファミリーの皆さんからも、「歌碑が欲しかった」「応援しています」「明日気を付けて」等の励ましを頂きました。好きになった冬美ちゃんに答えたいと、好きでやり始めた事に対して皆さんも期待している事が分かりました。結果はどうなるか分かりませんが、私が動くことによって出来る事があるのであれば、努力をしていきたいと思います。
今出来る人が今出来る事をしていければとも思います。会社員時代に新人教育をした時「スパルタだ」と批判されたことがあります。私が出来る事は誰でもやろうとすれば出来ると思い込んでいました。その時に学んだことは相手にもそうだと納得して頂かないと始まらない事でした。でも今は出来なくても諦めちゃ悔しいじゃないですか。習い事もそんな感じでやっています。いつかは…の思いです。
ということで、今日再び県知事と町長あてに手紙を出しました。前回はメールでしたから埋もれてしまったかも知れませんし、和歌山が上富田町が生んだ「坂本冬美」さんの歌碑を建てて欲しいだけでなく『坂本冬美さんの故郷の空気を直に感じたいファンがいる事、実際に訪れている事、赤橋が立派な観光スッポットである事、そしてそのゆかりの場所に歌碑があれば』等を書き加えました。「建立費用についてはファンとしても寄付を集める」ことも「お手伝いをさせて下さい」も忘れずに書いています。「地元の人が普段利用している所が、ファンにとっては“聖地”でもある」という事が伝わるといいのですが。
「赤橋」をこの目で見てから、「おかえりがおまもり」を聴くと涙が溢れ困っています。外で聴けないです。思い入れの強い一曲になりました。
和歌山で詠んだ句を二つ
紀ノ川の/流るるままに/この時を
(どうなるか分からないけど、紀ノ川の流れに身を任せてみようかと)
ふるさとの/熱き想いに/何をなす
(故郷を熱く想う気持ちに、私は何ができるのだろうか)2016 年 4 月 5 日 19:53 #5520りんキーマスター良い句ですね♪
賛同してくれる声を聞くと心強いですよね♪
まずは歌碑。そして坂本冬美記念館♪
歌姫の伝説作りに大いに加担しましょう(笑)
2016 年 4 月 6 日 05:44 #5521fumi参加者記念館ですか。私も「歌碑」が妄想から本気になったあたりから、うっすらと考えていました。上富田町を散策し「赤橋」をこの目で見て感じた時、将来的に「坂本冬美記念館」も上富田町に欲しいと。文化会館の敷地に「歌碑」を建立し、会館の一角でもいいから「記念館」を開設できたらと妄想しました。
実は県知事と町長への手紙の中にも10年後(40周年)ぐらいには「坂本冬美記念館」をと書いています。
「歌碑」が本気で欲しい事、ファン(ファミリー)が集える場所として、町の誇りとしての記念館を妄想しています。伝わるといいのですが。
2016 年 5 月 2 日 15:50 #5694fumi参加者一歩前進です!
「歌碑」に書き込んでいただいた、りんさん、雪化粧さん、さちこさん、かっちゃんさん、なつさん、「歌碑」を応援して頂いている皆さん。一歩前進しました。皆さんの熱い思いが和歌山県に上富田町に届きました。
決定ではなく、すぐに建立できるという訳ではありませんが、上富田町長より返信が届きました。(手紙には町政50周年の冊子が同封され、中には冬美ちゃんの寄稿文があります) 以下町長さんからの手紙を再掲(一部省略)させて頂きます。長くなりますがお読みください。
『 日頃は、上富田町出身の演歌歌手「坂本冬美」を応援していただき誠にありがとうございます。「坂本冬美」は上富田町にとっては「宝」でありますし、彼女自身も和歌山県、上富田町を思い、色々な所で紹介してくれています。又、テレビ収録等も上富田町で行い、全国発信をしていただいていることで、小さな町ですが上富田町は有名な町となっています。私も県外の市町村に行き上富田町を紹介するときに「坂本冬美の生まれた町です。」と紹介します。そうしますと、相手側の方も喜び、話題が広がります。又、先のお手紙にありましたように「おかえりがおまもり」のジャケットには山王橋(通称赤橋)を撮影してくれていることから、この山王橋を訪れてくれる方もあります。
さて、ご提案の「歌碑」の件ですが、前回のメール時より検討はしています。上富田町は昭和33年に発足し、平成30年に町政60周年を迎えます。
(中略:町政50周年時のことについては省略します。メールが出来る人はお教えします)
今、庁内(役場職員内)で平成30年の町政60周年事業を検討中で、坂本冬美の顕彰を検討していたところであり、○○○○さんの提案は良い企画として受けて、坂本冬美、所属事務所との話し合いや、費用面、設置場所を検討したり、既に設置されている他の歌手の「歌碑」を調べている所であります。これらの調査が終われば町としましても、坂本冬美、所属事務所と協議して方針を立てることにしていますのでご理解を頂けるようお願いします。
今後とも、坂本冬美を応援していただけるようお願いするとともに、ご協力、ご指導をお願いします。
平成28年4月 ○○○○様 上富田町長
追伸 和歌山県より、貴方様より同様のお手紙を受け取っていることで相談があり、町と話し合いしていることをご了解ください』町長からは以上です。まだ決定ではありませんので、ぬか喜びはしないようにと思いますが、とても嬉しいです。「おかえりがおまもり」を聴いて再び涙ぐんでいます。
町へは手紙のお礼と、建立費用の一部にファンの寄付をとのお願いもしておきました。具体化するといいのですが、もう少しお待ちください。上富田町で実現できれば、次はと思いは膨らみます。歌碑巡りツアーが出来るようになればいいと。
この想いを載せて、京都コンサートでの「30周年おめでとう」掛け声も成功させたいです。『皆さんにご相談』への賛否のご意見もよろしくお願いします。
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