本来の自分?

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  • このトピックには1件の返信、2人の参加者があり、最後にりんにより6年、 11ヶ月前に更新されました。
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  • #13782
    七つ星
    ゲスト

     今日は久しぶりに朝からENKA,ENNKAⅡをじっくり聞き込みました。やはり今までのアルバムの中でENNKⅡが一番完成度が高いと思います。もちろんいろいろな感じ方があるので個人の意見としてです。誤解を恐れずに申し上げればオリジナルのアルバム超えているのではないでしょうか。冬美ちゃんのインタビューに「本来の自分はどちらかわからなくなるときがある」とありました。簡略化すると演歌を歌う私か、その他のジャンルを歌っている私かということ、さらに当時「あばれ太鼓」のようなド演歌でデビューしたくなかった、とあります。よく言われる石川さゆりさんのようなしっとりした歌で、ということですね。しかし、冬美ちゃんは「私は演歌歌手」と言い続けています。少々これって矛盾ジャン、と常々思っていたのですがENKAⅡで納得してしまいました。
     演歌というジャンルは平成以前歌謡曲の中の日本調いわゆる五七調の歌を演歌と称していました。戦後三橋美智也、村田英雄、春日八郎が今の演歌の基礎を作り、古賀政男がその頂点に君臨します。しかし歌謡曲の中の演歌ということで、昭和の終わりまで皆歌謡曲の歌手で演歌歌手はいません。美空ひばり、島倉千代子はじめ都はるみ、石川さゆり、五木ひろしも演歌歌手ではありません。歌謡曲歌手の中で日本的(演歌調)を
    歌う歌手だったのです。と業界をよく知る「なかにし礼」さんの言葉。しかし、昭和末期にはジャンルがいくつにも別れ、レコード会社の戦略も相まって歌謡曲はニューミュージック、J-Pに向かい、歌謡曲は消滅します。それに代わり演歌が歌謡曲にとって代わりました。冬美ちゃんはその端境期、作曲家の先生に弟子入りしデビューするという昭和の最後の証人であり、さらに演歌が演歌として独立してゆく時代の初めの一歩に遭遇してしまったわけです。祖父の影響で戦後第一期の演歌三人衆の影響を受け、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」は後に演歌歌手と言われるが、デビュー時は歌謡曲歌手。冬美ちゃんの中で歌謡曲も演歌もしみ込んでしまったと思います。また、誤解を恐れずに言えば平成後の演歌はカラオケ第一主義に陥り大衆を感動させる力が衰退したのではないでしょうか。ENKA、ENKAⅡの楽曲、さらにオリジナルの歌手は皆歌謡曲の歌手です。(もちろん現在のプロフィ⁻ルでは演歌歌手とありますが)これらの詩、メロの深みと力強さ(時代に対して)これは冬美ちゃん、というより冬美ちゃんの才能、資質、こだわりを熟知したスタッフが演歌が歌謡曲だった時代の演歌を冬美ちゃんのマインドを通しに、その中で何かを生み出そうとしているような気がしてなりません。最後に「夜桜お七」がエポックメーキングと言われますが、本来ド演歌でない猪俣先生は、「火の国の女」で五七調演歌でない曲を作っています。猪俣先生もちらっと未来を予感していたのでしょうか。冬美ちゃんの抱える矛盾は歌姫の宿命ですね。無理にやる気ならなくて少しづつでよいのでこれぞ平成のENKA聞かせてください。

    #13785
    りん
    キーマスター

    とーってもステキな書き込みありがとうございました!

    なんだかモヤモヤしていたところがスッキリ解決するような、さすがなご意見でした♪

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